Yuming Biography | ユーミンの生い立ちから現在までの歴史

《1954年〜1969年》

1954 Age0

1月19日

◆東京都八王子の老舗「荒井呉服店」の次女として生まれる

☆母・芳枝さんは娘を妊娠したことにまるで気付かず、妊娠5か月目まで、ごく普通に泳ぎ、そのうえスキーもやっていたらしい…。

1957 Age3

◆荒井呉服店のアイドル「ゆみすけ」

おしゃべり、歌、踊りが達者な「ゆみすけ(=当時の愛称)」は、“O型のお調子もんの社交家”として、お縫子のお姉さんたちのアイドルとなる。
時には社員旅行ツアーにも参加、バスの中ではマイクを離さなかったらしい。まさに三つ子の魂、百まで!である。

◆名物お手伝いさん・ヒデちゃん、「ゆみすけ」専任に家業に忙しい両親に代わり、兄弟の身の回りはお手伝いさんが担当。

ヒデちゃんこと・宮林 秀子さんは、ゆみすけ育ての親ともいうべき人。
「結婚する時なんか、ひでちゃんと別れるほうが悲しかったというか」(yuming・談)

1958 Age4

4月

◆私立 本町幼稚園入園 (東京・八王子市)

【Info】キリスト教(カトリック)幼稚園。この幼稚園には荒井家の兄弟全員が通った。

☆「自立心のある手のかからない子でした」(当時の担任/岡村 百合子先生・談)

1960 Age6

4月

◆東京都八王子市立第一小学校入学

 

6月

◆ピアノを串田 明先生に師事(〜中学1年生まで)

☆「6歳の6月6日にお稽古を始めると上達する」の教えに習い、レッスンをはじめる。

☆「ステージに立つと練習の時とは全く違う独創的なピアノを弾く」(串田 明先生・談)

☆ 小6の発表会では、母・芳枝さんの企画による日本舞踊とのジョイント「乙女の祈り」を演奏。

1965 Age11

◆三味線(清元)を花柳界のお師匠さんに師事(〜中学生頃まで)。

【Info】江戸時代後期に生まれた浄瑠璃の一つ。主に歌舞伎の伴奏音楽として発展。

☆ 清元に唄われた日本人の「粋」、男女の恋愛感における「機微」など幼いうちに知らずと受けた影響は大きい。やがて創作(特に詞の世界)に反映。

1966 Age12

3月

◆東京都八王子市立第一小学校卒業

☆在学中の成績は勉強しなくてもオール5!まさに「神童」の呼び声を欲しいままにする。

☆ 卒業時の寄せ書きは「出世したらまた会おうぜ」。まさに女親分の貫禄十分!

☆「何やってもできるスゴイ奴。各教科に男のライバルがいました」(同級生/関根 健一氏・談)

4月

◆立教女学院中学校入学 (東京・杉並区)

【Info】プロテスタントのミッションスクール。聖マーガレット礼拝堂ほか、計6台パイプ・オルガンあり。

☆ 毎日行われる礼拝では、当然のことながら賛美歌を歌わされる。中でも当時のお気に入りは「グレゴリアンチャント」。教会音楽のコードの妙にいたく感動。

◆各方面への゛課外活動゛活発化

☆この頃から中学3年・高校1年あたりまで、いくつかのテリトリーで遊び過ごした。1つ目は、家から程近い横田や立川などの「米軍基地関係」。2つ目は、当時のヒップカルチャーを映し出していた「六本木・飯倉界隈」。後者は、後に強力な裏シンジケートとして、音楽活動の人的財産となった。

1967 Age13

◆荒井由実、ついに「ユーミン」になる

☆当時ユーミンがおっかけをしていたGSグループ「フィンガーズ」のメンバー・シー・ユー・チェン(vo/bs・中国人)が「ユーミン」と呼んだのがはじまり。中国系の女性名に同じ発音があるからか(ちなみに「尤敏=ユーミン」という香港人女優がいた)。

1968 Age14

◆プロコル・ハルムに影響を受け、自作曲を書き始める

☆当時ヒットした『青い影』に、毎日耳にしていた教会音楽と通じるものを感じ「これなら自分でもできる」と作曲開始。その作品がシー・ユー・チェンをはじめとするミュージカル『ヘアー』のメンバーたちの目にとまる。

◆美大受験に向け、御茶の水美術学院に通い始める(東京・文京区)

☆当時、学校近くの明治大学・中央大学などは学生運動の真っ只中。そんな風景を見た思い出が、のちにバンバン「『いちご白書』をもう一度」の歌詞に生かされた。

1969 Age15

3月/4月

◆立教女学院中学校卒業/立教女学院高校入学